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> No.7[元記事へ]
田村さん
ご推察の通り、初芝通信にお邪魔していました東川でございます。などとペンネームを連ねていますが・・・。まだ、e-honからの案内は届かないようで、版元までお問い合わせをしていただいている模様です。とはいえ、このくらいの時間は、私の生まれ育った東販との付き合いからみれば普通です。ちなみに、実家は渋谷で書店を営んでおりました。
高専以来のカナタイプ入力が、この時代にはうまく適合したのかワープロの登場などからパソコン通信も含めて多くのコミュニケーションを手で行ってきたと思います。フィクションで技術を語ろうという試みを電波事業部時代の技術情報誌のコラムで学び経験したのが、今の私のベースという転機にもつながっていると思います。
学校で学んだソフトウェアというものが、実際に製品に活用されつつ進化していく歴史の中で育ち生きてきたと思います。そうした環境に30年暮らしてきて世の中に貢献できるものとして経験を語るということに意味があるのかどうかは若い人たちに向けてみないとわからないのかなと思っていました。
すでに初芝通信を退職する時に、後輩から言われた言葉で気に入っているものがありました。これは昭和59年入社の大卒女性技術社員の方から言われたもので次のようでした。
「東川さんは、早い定年が来たのだと理解しています」
永いソフトウェアエンジニアとしての初芝通信での暮らしで学び仕事をし教えてきた流れの中で変調しゆく仕事に向けての技術者としての判断などをかたり、だから辞めるのだという説明をしてみたところで気持ちが抑えきれないのでしょう。一緒に熱く仕事をしてきた仲間としてとても綺麗な涙を見せてもらいました。
彼女の涙などに応えられるだけの仕事をしているのかどうかと自分自身に時々問いかけます。彼女と同期の初芝通信の仲間も今の会社に迎えたりしていますので、彼らの声も同様で厳しく私を見つめてくれています。組み込みソフトウェア半代記なるコンセプトで語るべき内容は、確かにあふれていると思います。また、いろいろご指導ください。
http://www.techno-web.org/e_techno/forum
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