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<一筆投稿その33>渥美 清 / 噫々戦友の詩(うた)~「きけわだつみの声」より

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 8月 3日(月)20時28分28秒
返信・引用
    今回の<一筆投稿その33>は、終戦記念日8月15日を迎えるに当たっての特別投稿になります。少し長い拙文になりますが、最後までご一読いただければまことに幸いです。

  筆者は渥美清さんが歌う抒情的な歌が好きで、思い立つとYouTubeから“寅さん”が歌う歌がなぜこうも哀愁がこもるのかと感銘し、そしてその想いに浸りながら聴いております。

  で、それらを聴くたび、YouTubeの画面を見てみますと、≪【軍歌】友は征った(同期の桜)戦友 渥美 清≫というようなタイトルの曲がアップされているのを目に留まるのです。最初の頃は「軍歌は興味ないわ!」と無視していたのですが、試しに一度聴いてみると、これがなんとも胸に染み入るのです。以後結構お気に入りになってしまい、合計13曲アップされているこれらの歌と朗読を感無量にしてしみじみ聴いている次第です。

  実際に聴くとこんな流れです。

  当該曲をクリックしますと、最初は渥美清さんによる作者※の紹介が始まり、ひきつづきオーケストラ演奏をバックに渥美清さんの朗読が入ります。そのあと、“寅さん”が情感たっぷりに歌います。この一連の流れが胸に染みわたるのです。
 ※戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」の作者

  今回は、一つひとつの曲をどうのこうのと解説めいたことは一切なしにし、終戦記念日を迎えるに当たり、渥美清さんが歌う歌とそれに付随する朗読を通して、“戦争とは何か”、“平和とは何か”、を考えるキッカケになればと、生意気にも投稿させてもらった次第です。


  YouTubeにアップされている13曲の音源を調べてみましたところ、つぎのCDになります。

  <渥美清 / 噫々戦友の詩(うた)~「きけ わだつみの声」より>(発売元:ユニバーサルミュージック)


[収録曲]

  01.海ゆかば/美しき虚構(松永茂雄・国学院在学中陸軍伍長25歳)※

  02.同期の桜/友は征った(浅見有一・九大卒陸軍中尉27歳)

  03.麦と兵隊/父への手紙(目黒晃・東大在学中24歳)

  04.出征兵士を送る唄/初めての回天搭乗(和田実・東大在学中23歳)

  05.可愛いスウチャン/戦友の遺骨を抱いて/わが愛する妻(武井修・九大卒陸軍中尉27歳)

  06.戦友/八重子(宅島徳光・慶應卒海軍少尉24歳)

  07.討匪行/泥濘~雪の夜(田辺利広・日大卒26歳)

  08.空の勇士/元山より母への最後の手紙(林市造・東大在学中23歳/特攻隊員)

  09.ラバウル小唄/加藤隼戦闘隊/遺書(上原良司※・慶応在学中陸軍少尉22歳/特攻隊員)

  10.同期の桜/遺書(松永竜樹・国学院卒陸軍中尉27歳)

  11.歩兵の本領/夜の春雷(田辺利広・日大卒26歳)

  12.小鳥に与える/婦人従軍歌(松永茂雄・国学院在学中陸軍伍長25歳)

  13.海ゆかば/ギネメルとマンフレッド(松永茂雄・同上)
    https://www.youtube.com/watch?v=CMmU6QXR-yE


☆CDジャーナル/ミニ・レビューではこのように紹介しています。

・・・戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』より、全13作の朗読と歌を渥美清が担当。71年録音のLPを復刻したもの。渥美清という人の朗読の巧さに驚く。淡々と読んでいるようでいて、そこには薄っぺらな感情移入を許さない肺腑をえぐるような鋭さがある。・・・


☆筆者が思うには

  ワタクシの憶測になりますが、この企画は、『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記』をもとに、担当プロデューサーが二度と戦争を起こしてはいけないという意図をもって構成したのではと思います。まことに素晴らしい企画です。結構重たいテーマですが、祖国と愛する者の未来を憂いながら死んでいった学徒兵たちの壮絶な想いが、渥美潔という希代の名優を介して切なくもしみじみと聴く者の身体全身に染み渡らせます。それにしましても、渥美潔さんの朗読と歌、まことに絶妙。魂が揺さぶられ胸が熱くなります。


☆“寅さん”の歌と朗読を聴いてみたいな、と思われる方は是非ご連絡ください。


■『きけ わだつみのこえ』について■

「第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集」ということですが、あまりにも重たいものがあるため、筆者如きがコメントなどできる訳がありません。
  ただ《「BOOK」データベース》では、『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記』 (岩波文庫)をつぎのように紹介しているので転載させてもらいます。

・・・酷薄な状況の中で、最後まで鋭敏な魂と明晰な知性を失うまいと努め、祖国と愛するものの未来を憂いながら死んでいった学徒兵たち。1949年の刊行以来、無数の読者の心をとらえ続けてきた戦没学生たちの手記を、戦後50年を機にあらためて原点にたちかえって見直し、新しい世代に読みつがれてゆく決定版として刊行する。・・・


  ここで、9番目の上原良司という青年に、筆者は非常に深い興味を覚えましたので以下のとおり紹介させてもらいます。


■上原良司のこと■

 詳細:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E8%89%AF%E5%8F%B8

  上原良治は、慶応義塾大学経済学部在学中に学徒出陣し、昭和20年5月11日 第五十六振武隊隊員として三式戦闘機「飛燕」に搭乗。沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入し戦死(享年22才)します。


☆少し長くなりますが渥美清さんが朗読している遺書を全文紹介させてもらいます。

<遺書>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生を受けてより二十数年、何一つ不自由なく育てられた私は幸福でした。
温かき御両親の愛の下、良き兄妹の勉励により、私は楽しい日を送る事が出来ました。そしてややもすれば我ままになりつつあった事もありました。この間、御両親様に心配をお掛けした事は兄妹中で私が一番でした。それが、何の御恩返しもせぬ中に先立つ事は心苦しくてなりませんが、忠孝一本、忠を尽くす事が、孝行する事であると言う日本に於いては、私の行動をお許し下さる事と思います。

空中勤務者としての私は、毎日毎日が死を前提としての生活を送りました。
一字一言が毎日の遺書であり遺言であったのです。高空においては、死は決して恐怖の的ではないのです。このまま突っ込んで果して死ぬのだろうか、否、どうしても死ぬとは思えません。そして、何かこう、突っ込んでみたい衝動に駈られた事もありました。

私は決して死を恐れてはいません。むしろ嬉しく感じます。何故ならば、懐かしい龍兄さんに会えると信ずるからです。天国における再会こそ私の最も希わしい事です。
私はいわゆる、死生観は持っていませんでした。何となれば死生観そのものが、あくまで死を意義づけ、価値づけようとする事であり、不明確の死を怖れるの余りなす事だと考えたからです。私は死を通じて天国における再会を信じているが故に、死を怖れないのです。死をば、天国に上る過程なりと考える時、何ともありません。

私は明確に云えば、自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必用であると思ったからです。これは、馬鹿な事に聞えるかもしれません。それは現在、日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。

戦争において勝敗を見んとすれば、その国の主義を見れば、事前に於て判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思います。日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。この上はただ、日本の自由、独立のため、喜んで、命を捧げます。

人間にとって一国の興亡は、実に重大な事でありますが、宇宙全体から考えた時は、実に些細な事です。驕れる者久しからずのたとえ通り、もし、この戦に米英が勝ったとしても彼等は必ず敗れる日が来る事を知るでしょう。もし敗れないとしても、幾年後かには、地球の破裂により、粉となるのだと思うと、痛快です。しかしのみならず、現在生きて良い気になっている彼等も、必ず死が来るのです。ただ、早いか晩いかの差です。

離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。開かなかったら左の引出しを開けて釘を抜いて出して下さい。

ではくれぐれも御自愛のほど祈ります。大きい兄さん、清子始め皆さんに宜しく。
ではさようなら、御機嫌良く、さらば永遠に。

御両親様へ
良司より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆上原良治の<碑文>◆

  故郷の安曇野に立っている<碑文>には以下の文字が刻まれています。

  きけ わだつみのこえ
  自由の勝利は明白な事だと思います
  明日は自由主義者が一人この世から去って行きます
  唯願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです


◆上原良治、最後の帰郷にて◆

  特攻を志願した上原良治は故郷への帰郷を許されて、最後の帰郷を1945年4月6日にしている。
  上原良治は家族や親戚や幼なじみと会ったが、誰にもこれが最後とは告げなかった。しかし幼なじみで親友の犬飼五郎には、「死地に赴くのに喜んで志願する者は一人だっていない。上官が手をあげざるをえないような状況をつくっているのだ。仕方ない と心で泣き泣き手をあげているのが本当の気持ちさ」と語り、家族と一夜を過ごしたときには、酒を飲みながら「日本は敗れる。俺が戦争で死ぬのは、愛する人たちのため。戦死しても天国にいくから靖国神社にはいないよ」と語っている。


◆上原良治の長兄・次兄◆

  長男・良春は慶應義塾大学医学部を卒業後に陸軍軍医となり、終戦直後の1945年9月にビルマの捕虜収容所で戦病死。
  次男・龍男も医学部卒業後に海軍軍医となって、1943年9月にニューヘブリデス諸島沖で伊182と共に戦死しており、上原家の3人の兄弟は全員戦争によって命を失った。父寅太郎は大いに悲しみ、いつまでも面影を忘れないために3人の胸像を刻ませた。


≪おわり≫

 
 

8月1日連絡事項

 投稿者:大谷耕平  投稿日:2020年 8月 2日(日)11時44分41秒
返信・引用
  ●今日1日(土)は全パート参加(各パート半数ずつ)で第1ステージ演奏曲を練習しました。
●次回8日(土)(13時半~和歌山教会)は、1日(土)の欠席者が第1ステージ演奏曲を練習します。
●15日(土)はお盆のため練習はありません。
●22日(土)は1日の出席者を対象に、29日(土)は8日の出席者を対象に、「木下杢太郎の詩から」を練習予定ですが、楽譜は全部持参してください。(いずれも13時半~ルーテル教会)
●出席者が4~5人に満たないパートは同じ方の出席を可とします。ただし、出席者4~5人を超えないようにお願いします。
 

<一筆投稿その32>「男声合唱 昭和浪漫」より①

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 7月18日(土)16時53分0秒
返信・引用
    今回から、第15回演奏会で演奏する「男声合唱 昭和浪漫」の曲について、相変わらずの拙文にて紹介させてもらいます。

◆はじめに◆

  楽譜「男声合唱 昭和浪漫」を開きますと、巻頭に「・・・敬愛して止まない男声合唱団『東京リーダーターフェル 1925』創立90周年を記念するプロジェクトとして・・・中略・・・編曲の手法は極めて正統派のものにしました。技巧的な難解さを避け、懐かしいメロディを楽しく口ずさみながらも、合唱の醍醐味に満ちた、歌いがいのある編曲を心掛けました。・・・」と、編曲者の安藤由布樹さんが歌曲集発刊の意図を語っています。大いに納得するところです。

  また、巻末には「男声合唱団東京リーダーターフェル1925」の会長・田村耕一さんのご挨拶として、「東京リーダーターフェル1925は、ドイツの男声合唱に強くあこがれていた同志社グリークラブ出身の故山口隆俊や、後に全日本合唱連盟理事長を務めた故秋山日出夫などにより1925年(大正14年)に創立され、以来、たゆみない演奏活動を継続し、日本でもっとる歴史のある、社会人をメンバーとする男声合唱団です。・・・」と、紹介しています。

  すっごく由緒のある男声合唱団なんですね。詳しく知りたい方は、同団のホームページを覗いてみてください。
  https://www.tokyo-liedertafel.com/

  ほえーる第15回演奏会では、演奏する「昭和浪漫」の一曲一曲が、きっと観客の皆さんから共感が得られ、きっと哀愁に浸ってもらえることでしょう。そして、そのような情感を演奏するわれわれと共有することができればまことに演奏冥利に尽きるというものです。

 では、一曲ずつ、あちこちから引用しつつ紹介させてもらいます。


■「湖畔の宿」  昭和15年(1940)■

  作詞:佐藤惣之助(1890 - 1942) 作曲:服部良一(1907 - 1993) 歌:高峰三枝子(1918 - 1990)

  日独伊三国軍事同盟が締結され、日本が大戦に向けて突っ走り始めた昭和15年(1940)、高峰三枝子の歌で大ヒットしました。曲中の台詞が死地へ赴く兵士の心情とあいまって、とりわけ、特攻隊・前線兵士の間で人気があり愛唱されたとのことです。

  ところが、当時、感傷的で淋しい詩とメロディが戦意高揚を損なうということで、当局は発売禁止にしたものの、歌うのを止めることはできなかったそうです。歌手たちの戦地慰問で兵士たちからのリクエストが圧倒的に多かったのがこの曲だったといいます。特攻隊の基地で若い航空兵たちが直立不動でこの歌を聞き、そのまま出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子さんは幾度となく語っていたそうです。
「この静けさ、この寂しさを抱きしめて私は一人旅を行く。誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて……」の部分がとくに兵士たちの胸に響いたのでしょう。
  当時、30万枚近いレコードが製造されています。

  ちなみに、「湖畔の宿」の舞台になった場所はどこだったのでしょうか。
  諏訪湖、浜名湖、山中湖など諸説があったようですが、佐藤惣之助の手紙が見つかり群馬県榛名湖ということが明らかになったとのことです。このことは、1989.1.28の夕刊フジに紹介されています。


  高峰三枝子が歌う「湖畔の宿」を聴いてもらいましょう。
  最初のURLでは特攻隊慰問で歌った時のことを語っています。
  https://www.youtube.com/watch?v=SWdaFdBVbB0
  https://www.youtube.com/watch?v=RLbDHaazf3s

 2番と3番の間には次のような台詞が入っています。

    ああ、あの山の姿も湖水の水も、
    静かに静かに黄昏れて行く……
    この静けさ、この寂しさを抱きしめて私は一人旅を行く
    誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて、
    幼な児のような清らかな心を持ちたい
    そして、そして、静かにこの美しい自然を眺めていると、
    ただほろほろと涙がこぼれてくる



■「長崎の鐘」  昭和24年(1949)■

  作詞:サトウハチロー(1903-1973) 作曲:古関裕而(1909-1989) 歌:藤山一郎(1911-1993)

「長崎の鐘」は昭和24年7月1日にコロムビアレコードから藤山一郎が歌うシングルレコードが発売された名曲中の名曲です。

  昭和24年、長崎での被爆体験をもとに長崎医科大学の先生、永井隆博士のベストセラー「長崎の鐘」をモチーフに創られ大ヒットします。さらに翌年25年にはこの曲を主題歌にして松竹から映画化されています。


  まずは「二木紘三のうた物語」より抜粋してこの歌のコアなところを紹介させてもらいます。

・・・自分も原爆に被爆しながら献身的に被害者の救護にあたり、病床に斃れてからも、平和を希求する多くの著書を書き続けた長崎医大教授・永井隆博士について歌った歌です。
  コロムビアから作詞の依頼を受けたサトウハチローは、最初、ベストセラーに便乗したきわもの企画だと思って断ったそうです。しかし、その後、永井から贈られた著書を読んで感動し、「これは神さまがおれに書けといっているのだ」と確信して、全身全霊を捧げて作詞したといいます。それは作曲の古関裕而も同じでした。そのメロディがすばらしいのは、短調で始まった曲が、「なぐさめ、はげまし……」のところで明るい長調に転じる点です。これによって、悲しみにうちひしがれていないで、未来に希望をもとう、という歌詞のメッセージが強力に増幅されて伝わってきます。
 サトウハチローも古関裕而も、数多くのヒット曲をもっていますが、あえて1曲に絞るとすると、世間に与えた感動の大きさという点で、この曲が最高傑作といってよいのではないでしょうか。 ・・・


  また、ヒットした要因を「ウィキペディア(Wikipedia)」によればこう解説しています。

・・・レコーディングには逸話が残っている。1949年4月4日のレコーディング当日、藤山は国内のスケジュールの疲労から体調を崩し40度近い高熱を出し苦しみ、吹き込みは後日ということになったが、式場隆三郎や山下清ら関係者がすでにコロムビアのスタジオに来ているということを聞き、妻の運転する車でスタジオに向かった。録音は再吹き込みするという条件のもとで行われたが、藤山の絶唱がスタッフ・関係者一同の感動を呼び、再吹き込みを経ることなくそのまま発売された。・・・と。


  藤山一郎さんの「長崎の鐘」です。心に響きます。
  https://www.youtube.com/watch?v=MCdT05hLYFA


<つづく>
 

<一筆投稿その31>「waiの男声合唱組曲ベスト20」

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 7月 4日(土)14時00分2秒
返信・引用 編集済
    コロナさんもようやく下火になってきたようですね、と書きたいところですが、東京など大都会ではちょっとマズイ感じになってきているようです。和歌山は今のところ“収束”しているように見受けられますが決して油断はできないでしょう。いずれにしましても、ホント勘弁してほしいですわ。

  世の中、外出自粛!“ステイホーム”と叫ばれていたころの話。毎日が日曜日の筆者にとってはステイホームなんぞ関係がないわい、と高を括っていたのですが、「ほえーる」の練習中止、それと週一回の卓球教室中止、特にこの二つには調子を狂わされてしまいましたですよ。大手を振って外に出られない、というのはそこそこのストレスになりますね。

  で、この間、なにをしていたのかと申しますと、和歌山城公園のウォーキングに精を出し、(このような)ヘタな文を創り、ひたすら音楽CDを聴きまくっていた次第です。

  どんな音楽を聴きまくっていたかと申しますと、元来ワタクシはクラシックがメインでその合間に合唱曲を聴くという具合ですが、ここのところまったく逆の状態になっていまして、日ごろあまり聴かない合唱組曲を聴いてみたり、同じ組曲の合唱団違いの演奏も聴き比べしたりしていました。そのまた合間にボニージャックスなどの抒情歌を聴いたりして心穏やかな気分にさせられていました。
  それでと言っちゃなんですが、日ごろあまり聴くことのない組曲や苦手だった組曲を何回も繰り返し聴いていますと、突然その良さに気が付いたり、新発見があったりするのですね。やはり聴き込むことが大切なんでしょう。マーラーでもブルックナーでもそうでした。特に名曲と言われる作品は聴けば聴くほど味わいがでてきます。

  ということで、今回はいままで聴いてきた曲、なかでも組曲を中心に、あくまで筆者の個人的感想(多少の偏見も入れて)として、“これは良い!”と感じた作品を「waiの男声合唱組曲Best20」としてまとめてみました。あくまで筆者が聴いた組曲に限りのセレクトです。
  ちなみに選定基準はと申しますと、なにかしら筆者の“耳に心地よく入ってきた”、“胸に響いた”という二点に尽きます。念のため申し添えますが演奏したい曲ということではありません。

 以上を前置きさせてもらい、皆さんが組曲をお聴きになる際、参考になるならばこれに優る幸いはないと思いつつ、ランク付けをすること自体、不遜の誹りを免れない所業だということを百も二百も承知のうえで紹介させてもらうことにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★1位:「水のいのち」/2位:「筑後川」/3位:「土の歌」は不動のランキングです。奇しくも第50回の「楽しい歌声の会」では、この三曲が合同演奏として取り上げられました。さもありなん。選ばれたというのは、やはり名曲と云われる所以なのでしょう。4位以下はその時々によって順位は変わります。


■1~5位■

○1位:男声合唱組曲「水のいのち」(高野喜久雄/高田三郎)
・稲門グリークラブ 第19回OB四連演奏会2013.6.23 (指揮:小林研一郎)
 https://www.youtube.com/watch?v=exOyMe9VaoA

○2位:混声合唱組曲「筑後川」(丸山 豊/團 伊玖磨) ※男声版がないのがまことに残念。
・東京混声合唱団https://www.youtube.com/watch?v=JB7DGUuWWtA

○3位:男声合唱のためのカンタータ「土の歌」(大木敦夫/佐藤 眞)
 ※荘厳にして感動的。組曲の中で歌われる「大地讃頌」は神々しい。
・早稲田大学グリークラブ 第56回定演(男声版委嘱初演)2008.11.30
 https://www.youtube.com/watch?v=nJrGcMFsHMM

○男声合唱組曲「沙羅」(清水重通/信時 潔) ※信時 潔の名作中の名作
・稲門グリークラブ・シニア会 第13回定演 2014.10
 https://www.youtube.com/watch?v=8ceOp5G95Rs

○男声合唱組曲「雨」(伊藤整他・大木惇夫・尾形亀之助・八木重吉/多田武彦)
 ※タダタケ作品のなかで一般の聴き手に最も共感を与える作品だと筆者は思っている。詩はわかりやすく親しみやすい。
・立教大学グリークラブ 第41回東京六連定期演奏会 1992.5.5 指揮:北村協一
 https://www.youtube.com/watch?v=ZMKmYRNBqXM


■6~10位■

○男声合唱とピアノのための「花に寄せて」(星野富弘/新実徳英)
 ※車椅子の詩人・星野富弘の心洗われる詩に新実徳英の作曲した話題の作品
・関西学院グリークラブ 第69回リサイタル 2001.1.28 「たんぽぽ」
 https://www.youtube.com/watch?v=UrNQd1qDlXc

○男声合唱曲集「そのひとがうたうとき」(谷川俊太郎/松下 耕)
・アルマ・マータ・クワイア 第56回定期演奏会 2018.3.4
 1.私たちの星 2.あい 3.そのひとがうたうとき
 https://www.youtube.com/watch?v=_5A08eWMaPw
・メンネルコール広友会 第28回定期演奏会 2011.7.10
  1.私たちの星 2.あい 3.そのひとがうたうとき 4.信じる
 https://www.youtube.com/watch?v=RTH1DCv5MXQ

○男声合唱組曲「海」(星野哲郎/鈴木 淳)
 ※1982年に歌謡界の大御所、星野哲郎と鈴木 淳により日本作曲家協会のコンサート用に制作した作品。
・早稲田大学グリークラブOB
  ※「一般の方には未公開のままで、この音源を眠らせておくのはもったいないという声が多く、動画にして公開する事にしました。」(鈴木淳YouTube)
  https://www.youtube.com/watch?v=lOduLk-vWso

○男声合唱組曲「Enfance finie~過ぎ去りし少年時代~」(三好達治/木下牧子)
 ※木下牧子さんの才能が伝わります。
・慶応ワグネル 第142回定期演奏会 2017.11.11
 https://www.youtube.com/watch?v=jHbI1k-DGqc

○男声合唱組曲「木下杢太郎の詩から」(木下杢太郎/多田武彦)
・関西大学グリークラブ 1983.11.3 (委嘱初演)
 https://www.youtube.com/watch?v=7LXX3R-7zik
・早稲田大学グリークラブ 第64回定期演奏会 2016.12.4
 https://www.youtube.com/watch?v=aSCRdojsCQ8&pbjreload=101


■1Ⅰ~15位■

○男声合唱組曲「山に祈る」(清水 脩/清水 脩)
 ※ダークダックスが上智大学山岳部部員の遭難を自身の残した日記と母の手記により合唱組曲に創作する企画をたて、清水脩に構成・作詞・作曲を依頼した作品。
・慶応ワグネル 第123回定演1998.12.18
 https://www.youtube.com/watch?v=BOxv9nOIbcg

○男声合唱のための組曲「蔵王」(尾崎左永子/佐藤 眞)
  ※日本の合唱界における代表作の一つ。季節ごとに表情を変える蔵王の美しさ・雄大さを歌い上 げている。
・京都男声合唱団 2015.12.20 (男声版委嘱初演)
  https://www.kyotodansei-chorus.com/youtube/

○男声合唱組曲「心の四季」(吉野 弘/高田三郎)
  ※音楽評論家・宇野功芳は「レコード芸術誌」でこの作品を「曲の完成度は「水のいのち」の方が高いが内容の深さにおいては遜色なく、全篇に流れる霊的なものは「水のいのち」にはない」と評している。
・アルマ・マータ・クワイア第57回定期演奏会 2019.3.3
 https://www.youtube.com/watch?v=Fwn_QccR-VY

○男声合唱組曲「終わりのない歌」(銀色夏生/上田真樹)
・早稲田大学グリークラブ 第59回定期演奏会 2011.11.27 (委嘱初演)
  ※思わず、ブラホー!と声を上げたくなります。
 https://www.youtube.com/watch?v=O47Bpb7tVUA

○無伴奏男声合唱のための「あしたうまれる」(谷川雁/新実徳英)
・関西学院グリークラブ 第79回リサイタル 2011.2.20
 https://www.youtube.com/watch?v=bm5rPEjv39U


■16~20位■

○男声合唱組曲「方舟」(大岡 信/木下牧子)
・早稲田大学グリークラブ 第60回東西四連演奏会 2011.7.3
  https://www.youtube.com/watch?v=0yzSKnTN7CA

○男声合唱のための組曲「旅」(山之井 愼・田中清光/佐藤 眞)
 ※とくに第4曲目の「なぎさ歩めば」は聴く者の胸に旅情感を溢れさせます。
・第4回大阪男声合唱団定期演奏会 2004.7.11
 https://www.youtube.com/watch?v=LtoIlNTfATg

○男声合唱組曲「尾崎喜八の詩から」(尾崎喜八/多田武彦)
 ※深遠にして格調は高いが反面大衆性が疎遠になるという典型的なタダタケの名曲。筆者の好きな組曲でもある。
・第51回 関西学院グリークラブリサイタル 1983.1.30 指揮:北村協一
 https://www.youtube.com/watch?v=1uYKfwyUe88
・立教大学グリークラブ 第42回東京六連定期演奏会 1993.5.2 指揮:北村協一


○男声合唱組曲「二度とない人生だから」(坂村真民/鈴木憲夫)
 ※7曲目の「二度とない人生だから」はまことに共感、共感、共感です。こころに響きます。
・男声合唱団ゴールデンエイジふくい ゴールデン・コンサート2017(客演指揮:鈴木憲夫)
 https://www.youtube.com/watch?v=UJNCpciCSo0

○男声合唱組曲「永訣の朝」(宮沢賢治/鈴木憲夫)
・慶応ワグネル 第131回定期演奏会 2006.12.9
 https://www.youtube.com/watch?v=7jfSw1HKRF0


■番外■

○男声合唱曲「武満徹 歌曲集」(谷川俊太郎/武満 徹)
 ☆組曲ではないが“世界のタケミツ”なので・・・。
・慶応ワグネル 133回定演 2008.12.7
 https://www.youtube.com/watch?v=1MIW7ibYmb4(「死んだ男の残したものは」)
 「雲に向かって起つ」、「ぽつねん」、「見えないこども」、「死んだ男の残したものは」、「うたうだけ」
  ※「死んだ男の残したものは」は、ポピュラー、クラシック問わず数多くの歌手らに歌われている。


○グリークラブのための「ポピュラーソングアルバムⅠ」(鈴木 薫/多田武彦)
 「あのこが来るよ」、「旅の空で」、「ヨットの歌」、「アカシアの径」、「ぼくを好きと云ったのに」
 ※「アカシアの径」は絶品。
・東京稲門グリークラブ 第一回定期演奏会 2004.2.14
 https://www.youtube.com/watch?v=oM4Pg8tcyDY

○「友」 (悠木圭子/鈴木 淳)
 ※「何故だか、聞いてくれた人が涙を流す人が多かったので、仲間を集めて男声合唱で歌ってみました。ぜひ聞いてみてください。」(鈴木淳談)
・サウンド友(早稲田大学グリークラブOB有志)
  https://www.youtube.com/watch?v=LxxUIovHZyE

○「この街で」 (新井 満/新井 満)
 ※こころが洗われます。
・男声合唱団ゴールデンエイジふくい
 (2011)  https://www.youtube.com/watch?v=5K6ScB59CA4
 (2017)  https://www.youtube.com/watch?v=rh_239zWmeY


■ホントは20位以内に入れておきたい組曲10■

・男声合唱組曲「海鳥の詩」(更科源蔵/廣瀬量平)
・「フランスの詩による男声合唱曲集『月下の一群』」(訳詞:堀口大学/南 弘明)
・男声合唱曲「島よ」(伊藤海彦/大中 恩)
・男声合唱組曲「柳河風俗詩」(北原白秋/多田武彦)
・男声合唱組曲「富士山」(草野心平/多田武彦)
・男声合唱組曲「わがふるき日のうた」(三好達治/多田武彦)
・男声合唱曲集「地平線のかなたへ」(谷川俊太郎/木下牧子)
・男声合唱による10のメルヘン「愛する歌」(やなせたかし/木下牧子)
・男声合唱とピアノのための組曲「ある真夜中に」(瀬戸内寂聴/千原英喜)
・男声合唱とピアノのための組曲「鎮魂の賦」(林 望/上田真樹)


■やはり気になる組曲10■

・男声合唱組曲「達治と濤聲」(三好達治/多田武彦)
・男声合唱組曲「月光とピエロ」(採譜:近藤鏡二郎/清水 脩)
・男声合唱組曲「アイヌのウポポ」(堀口大學/清水 脩)
・男声合唱曲「岬の墓」(堀田善衛/團伊玖磨)
・男声合唱曲「わたしの願い」(高野喜久雄/高田三郎)
・男声合唱組曲「ひたすらな道」(高野喜久雄/髙田三郎)
・男声合唱組曲「ティオの夜の旅」(池澤夏樹/木下牧子)
・男声合唱組曲「光る砂漠」(矢澤 宰/萩原英彦)
・男声合唱組曲「永久二」(鈴木憲夫/鈴木憲夫)
・交声曲「海道東征」(北原白秋/信時 潔)<混声>
  ※1940年に皇紀2600年奉祝曲として創られた作品。戦後は封印されてきたという経緯がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 以上、いかがでしたでしょうか。

 以前、一部の方にもう少し詳しい内容のものをエクセルでお届けしていますが、今回と比べるとところどころ変わっていますので、一度見ておいてください。要するに、聴くたびに、またその時の気分によって順位がエレベーターのように上がったり下がったりするのです。1年先はどう変わっていることやら、筆者自身もまったく予測がつきません。


★最後に、先輩諸氏におかれては、「この曲を聴いてみなされ!」というお勧めの組曲等がありましたら、ご教示いただければまことにありがたい。


★★★ご参考★★★

  日本合唱連盟から2020年6月29日「コロナウイルス感染症拡大防止のガイドライン 第1版」がつぎのURLのとおり発表されています。
  https://www.jcanet.or.jp/JCAchorustaisaku-ver1s.pdf


≪完≫

 

オンラインパート練習

 投稿者:T2輪嶋  投稿日:2020年 6月28日(日)18時15分45秒
返信・引用
  【報告】
セカンドテノールは5月30日(昼・夜)、6月6日、6月13日、6月20日の5回、Zoomをつかった「オンラインパート練習」を実施しました。Zoomでの練習は、普段の練習とは全く異なります。特に、「周りの音を聞く」ということが、ほぼできません(オンラインでは、ほかの人の声はどうしても1~2秒ズレるのです)。
また、そもそも「Zoomにつなぐ」ということそのものに時間がかかることも毎週のようにありました。「つながっているのに声が聞こえない、顔が見えない」などのトラブルは続出しました。

そんな環境で、輪嶋が音源を流して、メンバーは自宅でその音を聴きながら歌うという練習に終始しました。

   目標は「思い出す」こと。

結論から申しますと、オンラインパート練習は「やったほうがいい」です。
その理由は、
1.少なくともその時間は楽譜を開く。
2.こういうことでもなければ、大きな声で歌う機会など、普段の生活では、まず無い。
3.「そういえばこんな曲やったなぁ」程度に思い出すことができる。忘れ度合いが小さい。
4.なにより、毎週のように会っていたメンバーの顔を見ることができる。
  大げさでなく、初めてオンラインでつながったときは、懐かしさに、ちょっと泣きそうになりました。

特に4.の効果は絶大です。オンラインパート練習はやったほうがいいです。
ちなみに、すべてノンアルコールでした。
以上、報告でした。
 

<一筆投稿その30>「雪の降る街を」のこと

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 6月24日(水)16時22分42秒
返信・引用
    日本の雪国のイメージを歌った名曲です。そして、ワタクシ的にはかなーり好きな抒情歌の一曲になります。
  何がかなーり好きなのかと申しますと、曲の出だしは短調Amで始まりますが、途中長調Aに転調する箇所なんです。ここんところがなんとも言えないのですね。タイトルのとおり、歌いだしから見える情景は寒々としているのですが、転調しますと、突然パーッと明るい光が差してくるような感じがして、なにかしら気持ちが暖かくなるような感覚にさせられるのです。大層にいう訳ではないのですが、人生のあらたな展望が開けてくるような気がするのです。

  この曲はもともと、1951年NHKのラジオドラマ、連続放送劇「えり子とともに」(山の手で新しい時代を生きる女性を描いた)の挿入歌として作られたものです。台本が短かったことから、できた空白の時間を急遽穴埋めするために、大急ぎで台本担当の劇作家・内田直也が作詞し音楽担当の中田喜直が作曲したのがこの曲だったそうです。しかし即席に作られた曲とは思えないほど落ち着きのある曲ですよね。中田喜直さんの面目躍如といったところでしょうか。

  その後、この曲はボニージャックスやダークダックス等多くの歌手たちによって歌われ、愛唱歌・抒情歌として親しまれるようになります。

  ちなみに、中田喜直さんがこの曲を創るに際して、知人の菅原喜兵衛宅(山形県鶴岡市)で見かけた降雪風景が目に浮かび、このメロディを紡いだと伝えられておりまして、現在も毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」ではフィナーレにこの曲が歌われているそうです。それから、鶴岡市にはこの曲のモニュメントが立ち、市民はこの曲を「市歌」のようにして歌っているそうですよ。

  なお、北海道は旭川市も我が街が舞台として創られた歌と主張しており、冬の間、メロディが街頭放送で循環演奏されているとか。


    作詞:内村直也、作曲:中田喜直

  1 雪の降る街を 雪の降る街を
    想い出だけが通りすぎてゆく
    雪の降る街を
    遠い国から落ちてくる
    この想い出を この想い出を
    いつの日かつつまん
    温かき幸せのほほえみ

  2  雪の降る街を 雪の降る街を
    足音だけが追いかけてゆく
    雪の降る街を
    ひとり心に充ちてくる
    この哀しみを この哀しみを
    いつの日かほぐさん
    緑なす春の日のそよ風

  3 雪の降る街を 雪の降る街を
    息吹とともにこみあげてくる
    雪の降る街を
    誰もわからぬわが心
    このむなしさを このむなしさを
    いつの日か祈らん
    新しき光降る鐘の音


  それにしても、冒頭で流れるメロディは「ショパン-幻想曲へ短調/作品49」と似ていること。


★筆者のお気に入りのボニージャックスが歌う「雪の降るまちを」です。聴いてください。
  https://www.youtube.com/watch?v=U44zkVJitao


 以上、今回の「雪の降る街を」をもちまして、第15回演奏会第一ステージの演奏曲の紹介めいた文を終わらせてもらいます。



◆終わりに際して一言◆

  蒸し返しになりますが、前回の「<一筆投稿その29>『里の秋』のこと」で末尾に記している“「里の秋」はなぜか3番が割愛されている・・・”という件についてです。「夏は来ぬ」は3番と5番がカットされていますがこれは詩の内容からして問題ないでしょう。歌詞が3番目まである「椰子の実」、「小さい秋みつけた」、「雪の降る町を」もワンコーラス端折っても特段違和感はありません。~とは言え端折ってはいけませんが~  がしかし、「里の秋」だけは3番をカットしてはいけません。くどいようですが、「里の秋」に込められた“物語”が完結しないのです。と、筆者は、思ったり、して、います。

  それから、もう一点。演奏曲はもう一曲ぐらいあってもよろしいのでないかと思ったりしますが。


≪完≫
 

<一筆投稿その29>『里の秋』のこと

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 6月11日(木)16時20分49秒
返信・引用
  「里の秋」は、日本の秋の愛唱歌・抒情歌として、「赤とんぼ」(作詞・三木露風、作曲・山田耕筰)や「ちいさい秋みつけた」(作詞・サトウハチロー、作曲・中田喜直)」などとともに、日本の歌百選(2006年選定)に選ばれています。

  この歌曲はちょっとしたエピソードがありますので、その辺りを紹介させてもらいます。

  作詞の斎藤信夫は、元々小学校の教師をしていまして、その頃から数多く作詞をしていたようです。当時の日本は、軍国主義の道を突き進んでいたことから斉藤は生徒らに『神州不滅』と教えていたそうです。『神州不滅』とは、読んで字の如く“神州(神の国)は不滅である”という意味で、昭和から太平洋戦争終結まで軍部のスローガンとしても使われていたのだとか。

  ということで、最初は『星月夜』というタイトルで、太平洋戦争開戦に湧く昭和16年、斎藤自身も高揚した勢いで書き上げ、実は歌詞は4番までありました。

  1番と2番の歌詞はほぼそのままだったそうですが、元の3番と4番の歌詞はこうでした。


3 きれいなきれいな椰子の島    4 大きく大きくなったなら
    しっかり護って下さいと       兵隊さんだようれしいな
    ああ父さんのご武運を        ねえ母さんよ僕だって
    今夜も一人で祈ります        必ずお国を護ります


  なるほど、斎藤信夫が開戦直後に高揚して作ったということが十分に納得できるような歌詞です。そして、その歌詞からは日の丸の旗を掲げバンザイをして戦地へ送り出した様子が目に浮かびます。

  では、なぜ歌詞が変わり、現在歌い継がれているような内容に変わったのでしょう。


  昭和20年、日本がポツダム宣言を受け入れ、連合国に降伏すると、海外に行っていた軍人や民間人らが日本に引き揚げてくるようになりました。
時を同じく、斎藤信夫は子供たちに『神州不滅』と教えてきたことを悔い、教師を辞める決意したそうです。

  その昭和20年の暮れに、NHKのラジオ番組で復員兵や引き揚げ者らを励ます番組の企画の話が持ち上がり、そこで流す歌の制作依頼を受けた作曲家の海沼實が番組の企画の話から放送日までは一週間しかなかったため、おおいに慌てた海沼實が適当な詩はないかと探していまして、見つけたのが斎藤信夫の『星月夜』でした。
  ということで、海沼實から斎藤信夫に、3番と4番の歌詞そのままでは戦時中の内容になってしまうのでこの部分を作り変えてほしいと頼み、放送日当日やっとの思いで新たに3番の歌詞を書き上げて急いでNHKに駆け付け、童謡歌手の川田正子を連れて待ちかまえていた海沼に渡したそうです。

 題名は、海沼實の注文で「里の秋」と変えられ、曲はすでにできていたので海沼は川田正子に詩を渡して練習させたあと放送に臨んだとのことです。まことに綱渡りですね。
  その放送というのは特別番組「外地引揚同胞激励の午後」と題して、昭和20年12月24日午後1時45分から放送されたとのことです。

 反響は驚くべきものだったようです。川田正子が歌い終えると、「スタジオ内はシーンと静まり返り、その場にいた全員が心を浄化されるのを感じた」と、放送に立ち会ったあるスタッフは語っています。そして、放送が終わったとたん、局内の電話がいっせいに鳴りだし、翌日以降も、電話による問い合わせや感想の手紙が殺到したとのことです。一つの歌にこれほどの反響があったのは、NHKでも初めてのことだったとか。
  ちなみに川田正子は当時小学5年生(11歳)でした。

  かくして、「里の秋」はこの後、昭和21年から始まる「復員だより」のテーマソングとなり、毎日ラジオから流れることになりました。戦後の瓦礫の中で散り散りになった家族の行方をさがす尋ね人はあふれ、ハイパーインフレ、物資不足と向き合わねばならなかった混乱期の国民の傷ついた心を浄化するように染み渡り、誰もが知る抒情歌になっていきました。


 歌が世に出るにはいろいろ物語があるのですね。
 今一度歌詞をかみしめてもらいましょう。


      作詞:斎藤信夫  作曲:海沼 實

  1 静かな静かな 里の秋
    お背戸(せど)に木の実の 落ちる夜は
    ああ母さんと ただ二人
    栗の実煮てます いろりばた

  2 明るい明るい 星の空
    鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
    ああ父さんの あの笑顔
    栗の実食べては 思い出す

  3 さよならさよなら 椰子(やし)の島
    お舟にゆられて 帰られる
    ああ父さんよ 御無事でと
    今夜も母さんと 祈ります


  歌詞は、1番で故郷の秋を母親と過ごす様子、2番では夜空の下で遠くにいる父親を思う様子、3番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現しています。

  川田正子が歌う「里の秋」です。お聴きあれ。
  https://www.youtube.com/watch?v=KmXEmcvpqTY
  https://www.youtube.com/watch?v=4-qkFruX3M8


◆◆◆一言◆◆◆

  われわれが練習している「里の秋」はなぜか3番が割愛されていますが、前述のエピソードを鑑みるとき割愛してはいけないと思います。また3番を歌わなければ「里の秋」に込められた“物語”が完結しないのです。・・・・・。


≪完≫
 

<一筆投稿“番外”>

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 5月29日(金)17時40分44秒
返信・引用
    演奏会の延期、残念ですが妥当な決定だと思います。

  練習につきましては、なんとか7月頃から再開できればええのですが。

  それにしましても、コロナさんには本当に困ったものです。(どこかの国の首相も
困ったものですが)当分の間、“with CORONA”でいくしか仕方がないのでしょうね。

  さて、最近結構気にしていることがあります。掲示板をご覧になれば一目瞭然、筆
者の<一筆投稿その〇〇>が全面的に占拠していることが、ワタクシとしましては悩
ましくも心苦しく思っているのです。

  ということですので、皆さんにおかれましても是非投稿なさってはいかがでしょう
か。合唱全般のこと、歌曲のこと、演奏会のこと、近況、団の運営に関する建設的な
意見、あるいはエッセイなどなんでもありと思ったりします。今の時期、団員相互の
交流の場になればこれに勝る幸いはないと思います。皆さんの投稿をこころからお待
ちします。是非に。

  ちなみに、掲示板を占拠してまでヘタな文書を投稿しているその“こころ”はと申
しますと、暇を持て余しているということもあるのですが、最大の理由はボケ防止対
策の一環なんです。最近どうもワタクシのお頭の「海馬」が機能しなくなってきてい
るような気がしていまして、その対策と左脳との強化、つまりヘタな文を創ることで
少しでも脳細胞の活性化に繋がれば、ということなんです。とまぁ、密かに目論んで
はいるのですが・・・。


  次回は<一筆投稿その28>「『ちいさい秋みつけた』のこと」を予定しています。


≪完≫
 

<一筆投稿その28>『ちいさい秋みつけた』のこと

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 5月22日(金)20時17分56秒
返信・引用 編集済
    いやはや、なんともはや、なぜこのような詩を創ることができるのか、こんな綺麗なメロディがでてくるのか、才能のなせる業なんでしょうね、とまったく才能のかけらもない筆者としましては、ただただ感嘆し、感銘をするしかないですね。

『ちいさい秋みつけた』は、昭和30年(1955)のNHK放送記念祭で発表され、昭和37年(1962年)にボニージャックスの歌でレコーディングされ、日本レコード大賞童謡賞を受賞しています。


  作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直

1 だれかさんが だれかさんが だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた
  目かくしおにさん 手のなるほうへ
  すましたお耳に かすかにしみた
  呼んでる口笛 もずの声
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた

2 だれかさんが だれかさんが だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた
  お部屋は北向き 曇りのガラス
  うつろな目の色 溶かしたミルク
  わずかなすきから 秋の風
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた

3 だれかさんが だれかさんが だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた
  むかしのむかしの 風見の鶏 (とり) の
  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
  はぜの葉赤くて 入り日色
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた


■サトウハチローのこと■

(「二木紘三のうた物語」より拝借)
・・・サトウハチローは、明治36年(1903)、作家・佐藤紅緑の長男として東京で生まれました。作家・佐藤愛子は異母妹。
 少年時代は手のつけられない不良で、落第3回、転校8回、勘当を言い渡されること17回で、山手線内のほとんどの留置場に入れられたという伝説が残ってます。感化院という少年矯正施設に入れられたこともありました。
 17歳のとき、西條八十の門をたたき、20歳ごろから作品を発表し始めました。『うれしいひなまつり』『かわいいかくれんぼ』など数多くの童謡のほか、歌謡曲でも『リンゴの唄』や『長崎の鐘』など、日本人の心に深く刻み込まれた名作を数多く残しています。昭和48年(1973)没。
 東京文京区弥生にあった旧宅の庭には、秋になるとみごとに紅葉するはぜの老木があり、これが『ちいさい秋みつけた』の発想源になったといわれています。
 記念館になっていた旧居は、平成8年(1996)岩手県北上市に移転、はぜの木は地下鉄後楽園駅北側の礫川公園に移植されました。・・・・・

  つぎに少し長くなりますが歌の意味について紹介します。

■歌詞の意味■(「世界の民謡・童謡」worldolksong.comより抜粋)

<一番>
  まず「誰かさん」とは誰なのかについては、ここでは、火傷の後遺症で家にこもりがちになってしまった幼少期のサトウハチローであるとの解釈で説明を試みたい。
幼少期のハチローは、引きこもっていた部屋の中で、外で遊んでいる他の子供たちがうらやましく、その様子をじっと耳を澄まして聴いていたことだろう。
「めかくし鬼」とは昔の子供の遊びの名前。鬼役の子供が目隠しをして、それ以外の子供は手をたたいて鬼から逃げ回るという遊び。京都・大阪では「めんない千鳥」と呼ばれた。
めかくし鬼で遊ぶ子供たちの楽しそうな声を、部屋の中からうらやましそうに聴いていたであろう幼少期のハチロー。
  するとそこへかすか耳にしたモズ(百舌鳥)の鳴き声。モズは秋になると、鋭い声で「キーイッ、キーイッ」と鳴き縄張り争いをする習性があり、秋の季語となっている。
  あまり外に出られず、季節の変化を肌で感じる機会が少なかった幼少期のハチローにとって、部屋の中でかすかに聴いたモズの鳴き声は、ほんの小さい声ではあったが、季節が感じられた印象的な「ちいさい秋」だったのだ。

<二番>
  二番の歌詞についても、一番の歌詞に引き続き、幼少期のハチローが火傷の後遺症のせいで引きこもっていた部屋の中が舞台という解釈で説明を行う。
  幼少期のハチローがこもっていた部屋は、日が当たらず薄暗い北向き部屋で、不透明な曇りガラス(すりガラス)に閉ざされていたのだろうか。病床に伏せっていた時の部屋だったのかもしれない。
  火傷の後遺症のために満足に遊ぶこともできず、幼少期のハチローは部屋の中で気分はふさいで目はうつろ。溶かした粉ミルクは生気を失った目の色の暗喩か、それとも単に秋の肌寒い中で母親が用意してくれたホットミルクだろうか。
  そんな薄暗いイメージの部屋の中で、幼少期のハチローは、窓の隙間から部屋の中に入り込んだわずかな風を肌で感じることで、彼なりの「ちいさい秋」を見つけることが出来たのだろう。

<三番>
「むかしの むかしの 風見の鳥」とは、幼少期のサトウハチローが母親に連れられて行った教会の屋根にあった風見鶏(かざみどり)のことだろう。
「ぼやけたとさか」とは、風見鶏のとさか(鶏冠)が風雨にさらされて摩耗した様子を表しているように思われる。
「入日色(いりひいろ)」とは、西に沈もうとする夕日の色、つまり夕焼けのまっかな空の色を指している。


  ボニー・ジャックスが歌う『ちいさい秋みつけた』(1962年版)です。
  その歌声を聴きますと、瞼に情景が浮かび、そして素直に秋を感じさせます。
  https://www.youtube.com/watch?v=0L1f6eWsutk


≪完≫
 

<一筆投稿その27>「抒情歌」について

 投稿者:baritono / wai  投稿日:2020年 5月 8日(金)20時02分44秒
返信・引用
    さて、最近の<一筆投稿>では、ほえーる第15回演奏会第一ステージの演奏曲のうち、「椰子の実」、「埴生の宿」、「夏は来ぬ」と続けてまいりましたが、あとにつづく「小さい秋みつけた」、「里の秋」、「雪の降る街を」も含めて、いずれも抒情歌という括りに入る歌曲です。
  今回は、”連載”を一旦休憩して、抒情歌(叙情歌)について、ちょっと考えてみたいと思います。


■抒情歌って、どんな歌■

・・・叙情歌(じょじょうか)とは抒情歌とも書き、日本の歌曲のジャンルの一つ。「抒情詩」の派生語で、作詞者の主観的な感情を表現した日本語の歌詞に、それにふさわしい曲を付け、歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものを指し、これらの童謡や唱歌をはじめ、歌謡曲のスタンダードなバラードといったものを一つのジャンルにまとめたものである。・・・としています。
またその定義として、・・・叙情歌と呼ばれている歌は、大人がこどもに聴かせることができ、こどもが歌ったり、聴いたりしても差し障りのないものが多く、軍歌や現在の演歌と同じ主題の恋愛やヤクザに関わりのある歌などは含まれないものの、歌自体が懐メロや愛唱歌といったジャンルとも重複して属している関係から、それらとの区別はかなり曖昧なものがある。
基本的に演歌は含まれないものの、叙情的な演歌は『叙情演歌』と呼ばれており、叙情的な歌謡曲も含めて『叙情歌謡』と呼ばれていることから、『影を慕いて』のような感情的な歌を叙情歌に含めることもある。また、『童謡・唱歌・叙情歌』と呼ぶ場合、叙情歌は童謡や文部省唱歌以外の歌を指し、『叙情歌・愛唱歌』と呼ぶ場合は、叙情歌と愛唱歌を一括りにし、童謡や唱歌から外国曲も含めた歌謡曲のスタンダードな歌全般を指すことが多い。・・・<ウィキペディアより転載>(アンダーライン:筆者)


  上記の最後の文からしてみますと、抒情歌というのは、日本の唱歌は言うに及ばずロシア民謡、イギリス民謡やフォスター、さらには歌謡曲のスタンダートナンバーなども含まれるということになりますので、結構幅が広いですね。

 このような曲に共通しているのは、前出のとおり「歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそる」歌曲、ということになりますが、筆者的にもう少し平たく言い換えますと、歌う側にしても、聴くものにしても、なにかしらノスタルジアを感じ、こころに響き、ある種感動に胸を打ち、時代をこえて歌い継がれていく歌が抒情歌(叙情歌)なのではと思ったりします。


◆ご参考◆

  ここで、抒情歌の代表みたいな「故郷」について、バリトン歌手の山本健二さんという方はご自身のサイト(コラム/童謡・唱歌は心の里山」)http://bariken.com/wp/about/でつぎのように語っています。興味深い一文です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  2014年(平成26年)は、“兎追いし”の「故郷」が大正3年6月の尋常小学唱歌(6)に発表されてから100年になる。私は1933年生まれ、昭和20年の敗戦の時、旧制中学1年だった。戦時下の小学校では勤労奉仕という名の畑仕事が多く、歌をまともに教わった記憶はない。しかしこの歌は自然に口ずさむことができる。
  童謡・唱歌の多くは口承によって伝えられ、その中で人々の心に残る歌が、歌い継がれてきたのだろう。
  2004年より童謡・唱歌の普及をライフワークとしている私は童謡・唱歌の会の始めに「故郷」を歌うことにしている。指導するようになって1年ほどたった時、歌詞が「思いやりに満ちた」言葉ではないかと気づいた。・・・

第1節で、先ず故郷の自然のことを歌っている
第2節では、故郷の人々に思いをはせている
第3節になって初めて自分の思いを歌っている

  つまり自分のことよりも先ず他者を思う日本人の「思いやり」の歌であるからこそ我々は愛唱してやまないのだ。
  今風に言えばEQ(Emotional Quotient)※の歌である。さらに旋律は端正で清らか、この歌がある限り日本人の心から「思いやり」が消えることはないだろう。
※心の知能指数
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ちなみに山本健二さんは、早稲田大学グリークラブ出身(昭和31年卒業)。4年生時の学生指揮者。そのときのバリトンのパートリーダーは作曲家の鈴木淳さんであったそうな。ちなみにボニージャックスの二人も同じ時期に早稲田グリーで歌っている。いずれの方も現在御年85,86歳だ。また2年先輩にはバス歌手の岡村喬生さんがいる。さすが名門ワセグリです。

  山本健二さんのうたごえを一度聴いてみてください。何とも言えない哀愁感があります。
・「友」(詩:悠木圭子/曲:鈴木 淳)https://www.youtube.com/watch?v=HjFATb5N6NQ
・「仰げば尊し」https://www.youtube.com/watch?v=lpbCP2efWEw
・「ゴンドラの唄」https://www.youtube.com/watch?v=OiVQ1ZIhnmg


●ここで、筆者から提案(お願い)をさせてもらいます。
 如何でしょう。演奏会には抒情歌を毎回かならずプログラムに入れませんか。
 このような歌が入っていますとお客さんはホッとするのです。
 是非に。

≪完≫
 

レンタル掲示板
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